GブレイカーのSpecNote

日々の雑記とメモ。スペックがわかるほど量を書いてませんがね。

今日のニュース FFTと黒本・ゲームと攻略本 〜黄金の……〜

 少し前のニュースだけど、リアルにこの問題に触れた人間としては思うところがあるので書いておく。
 
 
■“FFT黒本”「小数点以下の確率で盗める」21年目にして驚愕の事実発覚か 「スクウェアが資料にうそを入れた」
 http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1805/20/news024.html
 
 
 FFTは僕も好きで、黒本にはかなり振り回された人間です。エルムドアの事件も。記事ではエルムドアの件も含めるかどうかは不明だが、と流石に曖昧にしてますね。この放送見たかったなぁ。
 
 開発側が出版に資料を流すのは当時から想像できてたけど、ほぼ丸写しの背景があったとは。今時ならあり得ることだろうと思うが、当時から既にそんな状況だったのね。まぁこういった背景があったからなのか、デジキューブが立ち上げられてFF8からはアルティマニアが作られたわけですが(FFTFF8より前)。
 
 某伊藤さんって、FFのバトル関係のシステムを作り上げた伊藤祐之さんでしょ。ゲームデザイナーとしては飛び抜けた才能の持ち主だと認識してますけど、それ以外にもまぁ色々ぶっ飛んだ人だってのはわかる。FF12「失敗も含めて体験することがゲーム」と考えて最強の矛問題を生み出したりしたしね。
 ATBの考案という広く知られた部分もあれば、FF6の魔石ボーナス、FF8のジャンクションとかそこそこ癖の強い(問題のあるとも言う)システムを作ったり、かと思えばガンビットみたいなスゲーもん作ったり。FFTでもATBの改良版を投入していたりと凄いクリエーターなのは間違いない。

 まぁ凄い人ってのは癖も強いもんだけどね。
 その目論見は成功したと思うよ。これでファミ通は「大丈夫?ファミ通の攻略本だよ?」なんて言われ方をされるようにもなったしね。それがファミ通側のクオリティコントロールの努力をする背景を生んだところもあると思うよ。いや、最近のは知らないけど。実際「黒本」は酷かったし。
 でも最後に、それに振り回されるのはユーザーなんだけどね。バレたら自分も文句言われることは想像できただろうに。
 
 しかし現状を憂い「俺も含めて全員痛い目にあえば文句あるまい」とでも言いたげな、なんというかクリエイターらしい過激さですね。ほとんど自爆テロ
 時代を考えれば出版側が傲慢な態度を取っていたことも十分あり得るだろうしね。ゲーム自体の発表も雑誌に載らなきゃ宣伝もできないから、ゲーム会社との癒着のような形もあっただろうね。ファミ通クロスレビューは信用できないと言われるのはこれが理由だし。某伊藤さんが足元見られてるような気分になってイラッとしても仕方ないよね。
 
 それでも当時ファミ通の攻略本はマシな方だったと思うよ。電撃とか内容が個性的だったけど、情報量は全然足りないし、攻略本としてはどこの出版も似たり寄ったり微妙なものがたくさんあった。ファミ通はまだ情報面ではちゃんと信頼できて使える方だった。だからこそ黒本の悲劇があったわけだけどね。
 
 攻略本も今は売れないから設定資料的な価値の方が強い。どれを買おうか…と悩んでいた、当時が懐かしいですね。気に入ったゲームの攻略本は違う出版のものも買ったりとかね。
 でもFF関係で一番使えたのは多分SFC時代までのNTT出版だろうな。今でもたまに読み返す。アルティマニアになるともう価格がね。情報量は確かにすごいんだけど。

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 少し話は逸れるけど、GBAソフトの「スーパーロボット大戦OG2」の隠し要素でヴァイサーガ(とアシュセイヴァー)という強いロボットの入手というものがあった。発行された多くの攻略本でもこれの入手手段は全く触れらておらず、ひと月ほど後発の攻略本がようやくこれを載せていた。
 当時はもう既にネット攻略サイトの文化が登場し始めていたから(まだ攻略wikiは無かったか、一般的ではなかったように思う)、知ってる人は知っているようなレベルだった。ある種、答え合わせとしてこの攻略本は存在した。あるいは攻略サイトの情報を写したのかもしれないが……。
 
 またFFTとも関わりがある意味では深い「タクティクスオウガ 運命の輪」というゲームでも似たようなことがあった。僕はオウガをやったのは結構最近なので、とっくにネットに情報は出回っていたのだが、あるキャラを仲間にするのが困難だったらしい。おそらくラヴィニスのことだと思うのだが、確かに条件がややこしい。アグリアスのような美人で誠実なお姉さん騎士と言えば、そのキャラの価値が分かるだろうか。
 聞いた話ではこれも攻略本で答え合わせをするような状況だったという。
 
 こういった背景を考えるに、ある種のゲーム開発側と攻略本制作側(ひいてはユーザー)とのバトルが行われていたのだろうと思う。わからないから攻略本を買うか、それとも自力で見つけるか。それもまたゲームの古き良き味だったのだ。
 情報化社会である今でこそナンセンスな話だと思うかもしれないが、それが楽しい時代だった。そういう遊びが許されている時代だったのだ。
 
 上述したようにデメリットにすら成り得る「失敗ですらゲームである」とする「ゲームにおける一度きりの体験」を強く意識していた某伊藤さんが、こういったことをしたのもまたある種の遊びであり、ゲームの在り方だったのだろう。
 
 僕らがエルムドアに挑み続けたあの日々は、確かに無駄なものだったのかもしれない。
 でも間違いなく、お爺さんになるまで僕らの記憶に残るであろう「一度きりの黄金のような体験」だったのだと思う。この考え方は今やソーシャルゲームなどのオンラインゲームに、明確に引き継がれている。その時、その瞬間の体験を売りにしたのが、ソーシャルゲームのイベントなのだ。
 現在は映画などにも4DXや3Dとなってそれは現れている。テーマパークのような「その時限りの体験」が、強い感情と思い入れを生むのだ。学校で友達とエルムドアの装備を盗みたいと話したあの日々が、今も僕たちの中では生きている。
 
 何年もたった後にすら「実はエルムドアにメンテナンス付いてたんだってよ!」と話題になった。口をそろえて「なんだそりゃ、ふざけんな!」と言ったものの、「あんなにがんばったのにぃ〜」と、みんなは笑っていた。
 
 そして今日、またこの話題をするのだ。
 確信がある。
 僕らはまた笑うだろう。
 
 だから僕は決して、某伊藤さんを恨むことはない。
 
 ゲームが、FFTが好きだからだ。
 そしてそこまで真剣に考えてゲームに向き合ったからこそ、彼はとても優秀なデザイナーになれたのだ。
 
 
 ジョジョ第五部アニメ化おめでとう。楽しみですね。