GブレイカーのSpecNote

日々の雑記とメモ。スペックがわかるほど量を書いてませんがね。

東方茨歌仙 二巻 感想 & 妖怪の定義考察

 特典はアニメイトのしおりクリアシートを選択しました。前回はこまっちゃんが写っているという激レアアイテムだったので紙製ファイルにしましたが、今回はそういうレア感はあまりなかったので悩みました。クリアファイルにするとか前回とかぶりそうだったのでしおりに。ブックカバーも悩んだんですけど、色々キャラの絵がほしいという理由でしおりにしました。正直に言えば全部ほしいんだけどね。


 今回の一番興味がわいた話はなんといっても第九話「新旧の妖怪」。
 茨歌仙の霊夢は普段平常モードなために暢気で、かなりグダグダなやつですが、久しぶりに書籍版の霊夢らしい、意志を感じる表情が雰囲気をグッと引き締めるね。いつも説教を垂れている華仙もタジタジなところが、変化が見えて面白い。


  私だったら、『私に倒された』と喧伝させるわよ (霊夢


 霊夢は自分の正義をちゃんと持っているところが魅力的。ただ、その正義は独自ルールが強すぎて(独自の世界観が強すぎて)他人から見ると豹変したように見えたり、言ってることがコロコロ変わるように見えたりして、よく言えば気分屋、悪く言えば偏屈なように感じる。誤解されやすいけど、本人は堂々としているから訂正もしない。しても言ってることが違うように見えるから、余計誤解されると。こういう筋を通してるブレない子は好きよ。手段と目的が一致している間は多分誰にも止められないし、誰にも負けない強さがあると思う。まぁその後結局痛いところを突かれているけどw(でもブレなくて、華仙も痛いところを突かれて、うっとなっているあたり、この二人の関係もなかなか面白い)


 他にも設定面でおもしろい話がありましたね。ここにきてようやく「妖怪とはなんぞや」という話。厳密には東方世界の、「幻想郷内における妖怪の正体」ですね。
 以前から「妖怪とは人を襲うものであり、それがすべてである」という話はありましたが、ずっと疑問に思っていたんですよ。妖怪は人を襲わなければならないのに、人的被害による幻想郷内のバランス崩壊の都合で非殺傷性を持つスペカなどの決闘ルールを用いて、疑似的に襲う・襲われるの関係を維持しなければならない。
 そこまでして妖怪が人間を襲わなければならない理由とは何なのか? 妖怪だから人を襲わなければならない、それが存在定義である、なんてのは説明になってない。バランスを維持したいなら、戦闘自体がそもそも無意味。てゆーか、この「妖怪」という一言で表現してるけど結局何者なの?という。


 実はこれが茨歌仙、というか神霊廟以降のシリーズでハッキリさせていきたい部分なんじゃないかなぁと思ったり。
 ここで外から来た二ツ岩マミゾウや、幽谷響子を使っているのが興味深い。彼女は山彦の妖怪なのだけど、そもそも山彦って妖怪でもなんでもないだろ、自然現象じゃんと思っていたのだけど東方世界では少なくとも「やまびこはこいつのせい」ってことになっている(東方はもともとそういう解釈だ、とか、実際やまびこという妖怪伝承がある、とかはとりあえず置いておいて)。この東方世界ではというのがポイント。


 霊夢は「妖怪が死ぬときは、現象が解明されたとき」と説明している。この場合の妖怪というのは我々がよく知る妖怪――つまり「なんだかよく分からない謎の現象」である。
 しかし、山彦の原理が解明された現在『幽谷響子』という存在は否定されるため、妖怪である幽谷響子は死ぬしかない。つまり幽谷響子が生き残るためには、山彦の特徴を維持しながら自然現象であるという事実も受け入れて妖怪(自然現象)ではない“何か”になるしかないのだ。その“何か”を霊夢は「実体を持ったへんてこな奴ら(=幻想郷妖怪)」と表現している。話の趣旨が逸れるからか、それ以上の説明を霊夢はしなかったが、結局は何なのかわからないのである。
 そして恐らく、何なのかわからないことが重要なのだ。それは万国共通ルールとして「妖怪=謎」でなければならないからだ。


 ここで博麗大結界というシステムはゲームマスターのような存在ではないか、と推測してみる。このGMの仕事はこうだ。
 妖怪を妖怪たらしめるのは「不気味な謎」という何なのかわからないものだ。だが、妖怪=謎の現象という公式が解明されたことで、妖怪の存在定義である「謎」は希薄化してしまっている。このままでは妖怪が滅んでしまう。
 だったら新しい妖怪の謎を作ってしまえばいいじゃないか、という風に考えたのが博麗大結界(ひいては結界を作った妖怪の賢者の意思)。もっと分からない“何か”にしてしまえばいいということだ。
 「妖怪=現象」という公式は形骸化して使えないから、手っ取り早く「妖怪=“何か”+現象」にしてしまえ。こうすれば、


Q.何かってなんだよ?
A.わかんねーから“何か”なんだろ。これは新しい妖怪だ、幻想郷妖怪。


 となる。妖怪も元になった現象から「〜をする程度の能力」というものを与える。「程度」ってことは「それしかできない」とも言い換えることができる。他にはろくなことができない。これは現象ではないか? つまり妖怪=現象という形も維持できる。


Q.でも元々妖怪って現象ですよね? 既にネタバレてんのに、怖がるもへったくれもねーべ?
A.じゃあボディをやる。幻想ボディ。山彦が起きない場所で山彦が起きて、おまけにそんなのが歩き回ってたら不気味以外の何物でもないだろ。実体があれば歩き回ってても不思議じゃない。――騒音おばさんっていただろ? あれを理解できるか? できないだろ。不気味だ。妖怪だよ。
Q.それってただの超能力者や魔法使いみたいなものじゃ?
A.超能力や魔法を科学的に説明できるか? 少なくとも今はできない。これができる「へんてこな奴ら」を幻想郷内では妖怪と呼ぼう。
Q.魔法や超能力を使う人間との違いは?
A.じゃあ伝承などで妖怪とされたものは妖怪にしよう。幻想郷というゲームエリア内では、「職業:妖怪」に割り振って相応の不思議ステータスを与える。元が何かにかかわらず、過去の事例で妖怪に当てはまるやつは例外なく妖怪用の幻想ボディを与える。
Q.じゃあ早苗は?
A.あれは伝承では神様(現人神)に相当するから「職業:神様」、つまり神様ボディを与える。外の世界で元が何であろうが、身体構成の情報も幻想郷内では幻想郷のルールに従ってもらう。
 ……これは推測だが、ひょっとしたら外では「神」ではなく「超能力者」として世に認識されていたのかもよ。だから幻想入りできた。「へんてこなやつ」を見て、あれは神様だ(妖怪だ)、なんて考え方はもうみんな忘れてるからね。
Q.え、じゃあ妖怪の中には元は人間のやつも?
A.実際、慧音は後天的ハーフだけどね。それはさておき、ここは幻想郷だ。外の世界の細かい話はどうだっていいし、元が何だったのかもどうだっていい。そんなふうに原因を解明しようと考えようものなら、せっかくの妖怪を生かすための新システムが台無しだ。考えるな。“何か”を持った「へんてこな奴ら」でいいんだ。それが正義だ。
Q.里の人間で「空を飛ぶ程度の能力」を持つ人間がいますが妖怪じゃないんですか?
A.空を飛ぶ“だけ”の妖怪はいるか? 確認されていない。神様にも相当しない。じゃあ人間だ。同じように時を止める妖怪なんてのも聞いたことがない。だから人間だ。吸血鬼は吸血鬼だが、幻想郷内では悪魔であるという定義だ。
Q.ってことは単純な超能力者は存在しない?
A.「〜程度の能力」で済まされるから、そういうことになる。人間も正確な意味では地球人ではない。幻想郷人だ。こいつらの中では世間でいうところの超能力者が常識的に存在する。
Q.妖怪が人を襲う必要があるのはなぜです?
A.妖怪である由縁が「人にとっての脅威である」というルールがあるから。人がいるから妖怪がいるんじゃない。幻想郷は妖怪の楽園だから、妖怪を生かすために人がいる
 つまり、理屈があって規制するためにルールが生まれたんじゃない。「人を襲う」というルールを前提にして理屈と現状が生まれたんだ。理屈は後付けなんだよ。だから厳密な意味での理由なんてない。ゆえに「演技・ごっこ遊び」になる。人を襲うことが、幻想郷妖怪になるために条件と言っても良い。ただし人殺しは勘弁な。
Q.では人食い妖怪とは?
A.「ごっこ遊び」だと言っただろう。「人食い妖怪」はあくまでそういわれている妖怪なんだよ。実際に人を食うかどうかは別問題だし、人を食うという表現も鵜呑みにするのは早計だ。例えば二ツ岩マミゾウは“化け狸”だが、もしこいつが「人を食う」といったらどういう意味だと思う?(http://www.ymknu200719.com/kotowaza/koto-hi-0017.html) 



 こんなふうに実際の「地球人」から「幻想郷人」にコンバートしているのが博麗大結界なのではないかと妄想してみる。そしてその契約を履行しているから、博麗大結界は存在していられるということではないかと。
 まぁこの妄想も大概だが、とりあえず茨華仙は人を襲いたくない妖怪なんでしょうね(ネタ元となっているのは十中八九、茨木童子という鬼の話だから、おそらく正体は妖怪で仙人を名乗っているだけか、例外的に本当に仙人になっているのか、あるいはこれから仙人になりたいのか)。今後の動向や関係性にに注目ですね。


 ところで一瞬、輝夜(永遠亭メンバー)が出てきてくれるかと思ったけどやっぱり出て来なくてショボーン。でも儚月抄が忘れられてないようなので嬉しい。