GブレイカーのSpecNote

日々の雑記とメモ。スペックがわかるほど量を書いてませんがね。

『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』のSF的考察と感想

 で、書きたい感想がよりによってこれかよ!と我ながらツッコまざるを得ない。アニメの女の子ってのは基本的に可愛いもんなんでまぁその辺の話はしません。主にお話の部分についてです。
 
 よくあるネトゲアニメでつまんそうならすぐ切ろうと思いましたが、意外とこれおもしろい。
 というのもあくまでネトゲメインというわけではなく、ネトゲに関わる人間の話だなと思ったからです。システムがどーとか、陰謀がどーとか、そういう話は無い。基本的に日常から乖離せず、ネトゲに対してどのように接していくか、あるいはネトゲと現実の境界や相互関係とはどのようなものか、というのがテーマなのかなと。
 言ってみれば一昔前のサイバーパンクSFと通じるものがある。いやまぁサイバーパンクの明確な定義からは逸れるのかもしれないけど、当時のサイバーパンクでは「いきすぎた科学と人間の関係性、それに対する反発」が描かれていたと言われ、現実と電脳の世界がごっちゃになった世界観というのが私の中でのサイバーパンクに対する認識です。
 
 この作品でも主人公はゲーム上での失恋から(笑)、現実とネトゲは違うのだと意見を持つようになりました。そこから今度は自分が好かれる側に回り、女の子からアプローチを受け続け、どう対処して折り合いをつけていくかと言うのが、このアニメのお話。
 
 ヒロインのアコは常に主人公へ問い続けるわけです。
「ネットゲームと現実との明確な差はなにか?」
「どうしてネットゲームの中に現実を持ちこんではいけないのか?」
 主人公はその経験から区別するべきだと言いますが、ヒロインは現実が本当ならゲームの中の言葉は全て嘘なのか?と返すわけです。
 
 
 ちょっと話は逸れますが、私自身もネトゲなり掲示板なりで、どこまで自分の考えを書きこむか、表現するかと言うことには常に悩みます。失敗したこともあれば成功したこともあります。失敗の方が多かったかな……。
 私は言葉使いがキツイというか、普段からこういうふうに文章を書いたり、自分の考えがどうやったら的確に誤解なく他人に伝わるのかいつも考えて表現しているつもりです。だから何事にも自分なりの感想や意見を持つようにしているのですが――妙に敏感なのか、否定されたと感じたのかはわかりませんが――変に難癖つけてくる人にはよく絡まれました。
 私が空気を読めてなかったこともありますが、議論の場で空気を読めってなんだ?とも思うこともあり……。
 
 
 話を戻します。
 まぁそういう経験も手伝って、主人公の考えも、ヒロインの考えもどちらもわからなくはないわけです。
 人間関係というものは全てが画一ではなく、立場によって構築されます。例えば親に話す子供の立場と同じ調子で友達と話す人はいないし、友達には吐く本音を恋人に言わないこともあるわけです。
 親子だったり、友人だったり、恋人だったり、他人だったりで、自分の本音と建前をうまく使い分けて人間関係は構築されていきます。円滑な人間関係を行うために、時にはわざと嘘をつくことも必要になってきます。
 しかし完璧ではないし、感情の上では逆のことを思っている場合もあり、不器用にも嘘の中に本音を混ぜることもあります。
 
 主人公は円滑な人間関係を構築するためにリアルとネットは違うと語る、いわば「現実に鍛え上げられた汚いけれど正しい大人」です。しかし若さと未熟さゆえに完全に割り切ることはできず、信頼した相手には本当のことを言いたいと誠実に考え、その結果第2話の「人として好きならゲームなんだし相手が男でも構わない」に行きつくわけです。
 そしてヒロインは、女の子だからとか可愛いアバターだからとかではなく、接したうえで自分を受け入れてくれたことを心の底から喜ぶわけです。まぁここでの重要なポイントは、ヒロインの中では「ゲームだから」の部分が抜けていて、実はミスマッチを起こしていて会話が噛み合ってないのが面白さなんですが。
 
 第2話のこのシーンが今のところ一番好きです。
 知り合いと言えど会ったばかりの女の子に、ここまで言ってのける男はそうそういないぞ、と。こいつ根性あるじゃんと思うわけです。まぁフィクションだからと言えば、そうなんですけど。
 私は男なんで女の子気持ちなんて知りゃあしませんけど、ここまで言われたら嬉しいんじゃないかなと思います。
 
 第3話では、主人公はもうハッキリ自覚的にヒロインが好きだと臆面なく語るわけで、そこはやっぱり根性あるなと思うわけです。まぁ最後はネトゲでは俺の嫁なんだから、とか言わずに、おまえが好きだからと言えよと思いますが、今の彼にはこれが限界なのでしょう。
 
 ラノベアニメというか男の子向けの作品での恋愛描写は基本的に恋人になるまでを描くものが大半で、だいたい告白とか「好き」とハッキリ言葉に出さずにどこか曖昧だったり、有耶無耶になったまま終わるとが多い……それどころか、そこまですらいかないのがハーレムものですね。
 そう考えると、この作品は真っ直ぐに恋愛ものなんだなと思い、珍しいなと思うわけです。まぁ言葉に出すようなもんじゃないって考えはわかるんですけど、他人なんだから言わなきゃ伝わらんし、言わなくても伝わることあるけれどそれを言い訳に使うのはただの甘えだろいうのが私の考えなので。察してほしいって考えは理解はできますが、私は大っ嫌いです。言わない奴が悪い。
 
 
 恋愛部分の話になったけど、本題に戻そう。
 ヒロインは、ネットはリアルの延長にあると考え、彼女は本当にそのままやっている「現実を知らない純真な子供」のように描かれています。なぜ彼女がそうなったのかは背景が描かれていないのでわかりませんが、少なくとも嘘をつく人間でもなければ、立場を使い分けるような“正しい汚さ”もない。
 しかし、常に本音に近いことを話しているはずなのに、周りが勝手にそれを歪めて受け止めてしまうという経験があり――結果、彼女から離れて行ってしまった。彼女に接した人からすると、真っ直ぐすぎて危なっかしく感じてしまい怖いのでしょう。
 誰もが真っ直ぐ生きられるわけでもない。そういうふうに生きたかったけど、生きられなかった人ってのは山ほどいるわけで。そんな人からすれば眩しくて仕方ないわけです。
 
 危うい経験をした主人公からすると、その純粋さが好きになった理由でもあり、同時に間違ったものとして見える。危うさの正体を理解するからこそ、彼はヒロインを助けようとする。
 だけどヒロインから「現実とネットの違いはなにか?」と子供のように純粋な疑問を提示されることで、主人公は自分が抱いてきた理屈が不完全で未熟なものだったいう現実を突きつけられてしまう。言葉に詰まるわけです。
  
 サイバーパンクでは仮想世界に「現実よりも魅力的なリアル」があれば、そこから人は脱出できなくなるというのが多いです。
 映画のマトリックスなんかがわかりやすいですね。完璧にシミュレートした仮想現実を人に与えれば、それで人は満足するというのが敵の機械軍の思想で結果も出していました。その仮想世界の中でで人間は飼われていて、黒服コートのサングラス野郎たちはそれは違うぞと唱えて戦うという話です。
 
ネトゲ嫁』では主人公から見ればヒロインは仮想世界に取り込まれているように見えて解放しようとします。
 けれどヒロインから見れば主人公の方が仮想世界に取り込まれているように見えるわけです。ゲームと言うのは作りものだけど、そこで交わした言葉は本当だし、それは実際にオフ会で会って保証してくれたではないか、というのが彼女の主張なわけです。
 そしてそれは彼女の中で確信として存在し、主人公は彼女を否定する術を持ちません。嘘の世界の中に本当が混じっているので、否定できないんですね。
 だからヒロインはかつて、真っ直ぐな主人公の気持ちを受け止めようとしなかった女が悪い、と考えて「この魔女め!」と言い放ち主人公を仮想から救済しようとする。彼女からすればゲームの中も現実だから、それを誤魔化したかのようなこの女の半端なプレイスタイルが誠実な主人公を惑わし、結果主人公は過去の亡霊を引きずって“ゲームの中にある嘘の部分”に取り込まれてしまい、今目の前にある現実を見られない状態になった。その、そもそもの諸悪の根源がこの語尾が変なムカつく猫女なのだと。
 まぁたしかにヒロインからすれば悪役に見えるわニャ(笑) 。
 
ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』というお話のおもしろいところは、主人公とヒロインのどちらもが自分の考えをハッキリ持っていて、相手に伝えようとするところです。ちゃんと話し合いをしたうえで、それでも相手が聞き入れてくれないから行動するという流れになっています。
 コメディタッチに描かれているせいで感情論的に見えますが、その実態は理屈の応酬になっているのです。まさにSFですね。そしてお互いの葛藤やすれ違い、そしてその結果の関係性の変化というのは実にドラマチックです。このあたりは小説の醍醐味ですね。人気なのも頷けます。
 
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 ネットと現実は確かに別物ですが、現代においてはとても実社会に溶け込んでおり区別がつきにくくなってきています。特に近年はスマホの普及も重なり、更に仮想世界が現実世界に重なってきています。仮想が現実に追いついたのか、現実が仮想に落ちたのかはわかりませんが、どちらも完全に無視できないほど相互関係を構築しています。
 そんな中で、情報の濁流と現実のギャップに流されず生きていくためには、確固たる自分の思想が必要になります。他人に言い負かされて負け犬になるよなメンタルの弱い奴が生きていけないのはいつの時代でも同じですが、これからは特に強力な自分の信念が必要になってくるように感じます。
 この作品が受け入れられたののもまた、その思想の得方を必要とする人たちがいたからでしょう。
 SFっていうのは基本的に社会風刺的な部分があるので、やはりそういう意味でも私はこの作品は実はSFなのではないかと思うのです。
  
 
 今後、この作品がどういう話になるのかは知りませんが、そういう現実と仮想の相互関係や、仮想の中の本当や、現実の中の嘘といったものが描かれていったら、これはおもしろいぞ!とハッキリ言えるようになると思います。その答え合わせが楽しみです。
 ガッツのある主人公がどこまでヒロインの真っ直ぐさを受け入れ、そして守って行けるのかというのも注目する点であると言えましょう。どういうふうに折り合いをつけていくのでしょうか。
 ……まぁその前にこのアニメは終わるんだろうけどな。原作未完だし。


 
 ン、なげぇよ。