GブレイカーのSpecNote

日々の雑記とメモ。スペックがわかるほど量を書いてませんがね。

PSP版 Steins;Gate その2

現在、Dメールという名前を付けたところ。進行は一応正規っぽい感じで進んでると思う。
アニメから入ったので、今回は微妙な違いと、紅莉栖というキャラクターに対する考察。

 ゲームだと紅莉栖は攻撃的でツンツンした部分の印象が結構強い。アニメでは抑え気味にして人見知りっぽくしたらしいけど、映像作品でゲームの時と同じような演出にしていたらさぞかし嫌われていたような気がするから、マイルドにして正解だと思う。そういう意味じゃ栗悟飯さんと原作紅莉栖はそこまで差が無いようにも感じる。……いや、それは言いすぎか?
 岡部もゲームの方がやりすぎてるというか、結構凶悪で“若い”印象。まゆりが可愛そうに見えるシーンがちらほら(^^;)、台詞は同じなのにアニメの方が優しく見える。これは演技の差によるものもあるのかもしれない。まぁその辺は後述。


 アニメではドクター中鉢が干された理由についてあまり触れられていなくて、なぜ紅莉栖が「父と同じ失敗はしない」の言葉と繋げることができなかった。考えてみればタイムマシン会見なんてやってるくらいなんだから、そりゃあ干されもするかと思ったけど……でも、自分の好きなものを追いかけるのは(体裁は別として)学者としては当たり前だと思うから、単純にトンデモを話したがるインチキ学者かと思っていたけど、実はそうでもなかったのかなという印象に変わった。
 もうちょっと詳しい内容に触れるまで分からないけど――というのも、紅莉栖が論破して中鉢の自尊心を傷つけてしまったってのはこの部分なんだろうなと。自分の好きなものを実現しようと夢に向かって努力したけど、片っ端から否定されたように感じたんだと思う。探求を好むのと、議論を好むのって似てるようで微妙に違うからね。特に若いとブレーキが利かないから、『肯定するために探求する人間(探求好き)』と『否定するために探求する人間(議論好き)』の違いに気付かず、衝突してしまうなんてのはよくあることで……この辺はオタクなら一度は味わったことがあるんじゃないかなぁと思う。(てゆーか学者なんてイコールでオタクと言っていいんだけど) 
 今は紅莉栖もある程度大人になってその違いに分かってきたから、少しは抑えられるようになったけど、言葉の端々に父親を裏切って見捨てたと感じている部分が見受けられる。実際その通りで自分がその張本人なんだけど、認めることもできない、みたいな。できれば父親の力になってあげたいんだけど、自分の知識が確かなことに自信を持っているからこそ、助けることができないというか。それが結果的にタイムマシンに対してアレルギーみたいな反応を起こしてイラだっているんじゃないかな、というのが私の想像。
 そういう意味では、ラジ館前で岡部と紅莉栖の「科学者とはなんぞや」という問答は、この父親との確執の縮図のように見て取れる。このときの紅莉栖は「世の中がこうだから」「物理の理屈はこうだから」という論調なんだけど、必死に自分は正しいと思い込もうとしているようにも見える(他人が用意した理屈の引用ばかりで、自分の中にある言葉を使っていないのが、その証拠となっている)。まさに岡部の「アレルギー」という発言は的を射ていると思う。紅莉栖が一番冷静になれない部分なんだろう。


 しかしこの岡部との出会い……「実際に起こったことを証明する」「自分の行きたい方向に自身を持っていく」と考える人間との出会いは、紅莉栖にとってのリベンジになっているようにも思える。「父と同じ失敗は繰り返さない」ではなく、「父(の時)と同じ失敗は繰り返さない」という見方をすると、彼女に与えられたテーマというものが見えてくるかもしれない。まぁもっと簡単に言えば、『科学者は現実とロマンを同時に持たなければならない』という命題に挑戦するのが紅莉栖というキャラクターに与えられた目的なのかな。岡部は妄想癖があってロマンばっかりだから、ちょうどいい対照的な組み合わせと言えるね。お互いに足りない部分を補っているから、こりゃ確かに良いコンビだ。
 個人的な見解になるけど、『まず自分をどこに持っていきたいか』を明確にしてからその方法を考える、というやり方をしている人間の方が優秀であることが多い気がする。というか優秀な人間に共通している部分というか。将棋やチェスでも名人は「どのようにして勝つか」ではなく「どのようにして自分が勝ちたいか」をイメージしてるから勝てる、という話がある。紅莉栖のように理論的で現実的な考え方を優先するというのは、まさに『助手』や副官などの、指揮官を補佐する立場に向いていると思う。嫁に向いてますね(笑)





 ところで、ファイル形式の都合なのか、時間がたっているのもあるのか、アニメとは声質や演技が結構違うことに気付く。演技に関して言えば、ダルなんかはかなり違っていて、アニメに比べるとまだ普通っぽさがある。アニメでは良い意味でキモくなってくれたと改めて感動した。(ゲームの収録は他の役者さんたちとの掛け合いがなく一人で淡々と録音していくらしいから難しい、という話はよく聞くが、どことなくやりにくさみたいなものを感じる。ていうかアニメ版はノリが良すぎる)
 岡部もアニメになると年齢が少し上がっている感じ。高笑いを聴き比べると結構違う。(こっちも映像になると役者とキャラの一体感が素晴らしくノリが良すぎる) というか、アニメはどのキャラも全体的に声が低くなって説得力が増している気がする。凄味や力強さが追加されているというか。逆に言うと、高音域が抑えられている? 
 MP3というファイル形式は一定以上の高音域と低音域をカットして容量を抑えているという。恐らく膨大な量があるゲームのボイスも似たような圧縮方法になっていると推測される。つまりある程度は角が取れて丸くなっているということだ。この丸っこさは鈴羽あたりが顕著に出ていて、アニメで聴く田村ゆかりボイスに比べると、どことなく甘ったるさみたいなものが出ている気がする。実際最初(ゲーム)はそういう可愛い寄りの演技で、アニメでは戦士っぽさをより意識しているのかもしれない。あんま変えてないとインタビューで言ってはいたけど、何にせよ鈴羽は良い方向で作用しているように見える。
 紅莉栖の中の人もゲームに多く出ているだけの所以があって、ゲームで聴くとかなり安定している。正直に言うとアニメではシーンごとに結構なバラつきがあって、演出に合わせてその都度あえて流れや整合性を取っ払っているのだろうか?と思ってしまうくらいだった。ただそれだけ演技の幅があるってことだと思うから、もっと経験を積めば安定感は出ると思う。何にせよ、ゲームでのバランス感覚は素晴らしい。もっとアニメにも出てくれ。アイマスも注目してるぜ。
 しかし、さすが田村ゆかりの声はゲームでもあまりブレないんだから大したものだ。この入れ替わりの激しい業界で、伊達に今でもメインを張ってないな。


それにしても調べたくなる単語が次から次へと出てきて、乾燥のためのキーワードもあるからメモがパンパンだぜ。楽しいなぁちくしょう!